映画と健康/雑談で心ほぐし

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懐かしの「押上」は、今でも僕らの記憶の中にあるのです!!【加齢014】

今週のお題「懐かしいもの」

どうも「映画/健康雑談」の高岡です。還暦+2です。

「懐かしいもの」ですかぁ。やはり平凡ですが「ふるさと」になってしまうのかもしれません。私の場合「ふるさと」といっても東京なんですが・・。でも、自分の育った町は、こどもの時、みんなと遊んだり、歩いた町のその風景はもはや無くなってしまいました。

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           aalmeidahによるPixabayからの画像

その町の名前は東京都墨田区の「押上」といいます。そうです、今、東京スカイツリーが聳え立っている町です。

 

まさか自分が子供の頃、鼻を垂らしながら、放課後に遊び回っていた自分のふるさとに、後に「東京」を代表する建物が建つことになるなんて、まるで想像などしていませんでした。

最初、押上に「スカイツリー」が建設されると聞いた時は「お~~、凄いじゃないか!これで『押上』もいよいよ全国区だなぁ~~」などと手放しで喜んでいたのですが、だんだんと建設が始まって来ると、自分の暮らし馴染んでいた町並みが、一つ、また一つで消えていくことに触れて「そうか、自分達の『ふるさと』の風景と引き換えに凄い建物になるのか!」と普通に考えれば、ごくごく当たり前のことに、気づいてしまい、その時は「唖然」としてしまいました。

 

当時、この町で暮らしていた当時の少年・少女たち、特に「押上三丁目」「西和町会」の方々にとって、懐かしいと思う言葉・ワードを書き記しておきます。

 

①大踏み切り 

②山口ガーデン通り 

③駄菓子屋:「じいちゃんばあちゃん」「さそり」

④中華料理:「モガミ」

⑤コンクリートコンビナート

⑥謎の「三角池」エリア

⑦どっこいしょねんど 

⑧第二吾嬬小学校 

⑨なんでも売っていた「コヤマ」

➉ぼくらの記憶にしか残っていない「押上駅」

 

この「押上三丁目」にも昭和30年代には商店街というか「魚屋さん」「乾物屋さん」「ふとん屋さん」「時計屋さん」「文房具屋さん」「酒屋さん」「プラモデル屋さん」などなどが存在する人々の生活が営みのもとになっていた商店が軒を連ねたいた時代があったのですよ。もう50~60年も前のことなので、今、押上三丁目に暮らしている方々のほとんどはもう分からないと思います。

 

分かるとすると、おそらく年齢が50歳台の後半から上の年配のかたがたということになりますね。寂しいことですが、仕方のないことですね~~。そういう私だって30歳まで暮らしていた墨田区を離れて、今は「クレヨンしんちゃん」の埼玉の春日部近辺で暮らしているわけですから、大きなことはいえませんね~~。

 

もう55年位前になりますが、私が幼稚園から小学校の低学年の頃まで、押上から浅草にいく道路には「都営バス」ではなく「都電」という道路に埋め込まれた線路の上を走る電気電車のような乗り物(路面電車・ちんちん電車)が走っていましたからね。ちんちん電車と呼ばれていたのは走り出す度に「ちんちん」という鐘を鳴らしているかのような音がしていたから、う~ん、懐かしいなぁ。残念ですが、もう自分の記憶の中でしかお目にかかれませんがね。よく祖母と一緒にその都電に乗って出かけていたので、深く思い出してしまうと「涙」が溢れてきてしまうので、浅い段階でとどめるようにいたします!