映画と健康/雑談で心ほぐし

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【雑談086】銭湯の思い出

お題「銭湯の思い出・・・」

どうも「映画/健康雑談」の高岡です!今日はお題「銭湯の思い出」のブログを用意しました!この時間は「おすすめの映画」に関するブログを書こうかなと思っていたのですが「はてなブログ」から出されている今週のお題が「お風呂」だということだったので、思わず予定を変更してしまいました!

よくお話しておりますが、わたしは幼い頃、墨田区は押上に暮らしておりました。正に今や東京スカイツリーがそびえたっている町であります。家にお風呂はあったのですが小学生だった頃(昭和40年代)は学校から帰ると近所の仲間と連れ立って銭湯に行っておりましたね~。それもお風呂屋さんの開店と同時に内に入って急いで服を脱ぐのです。それは仲間たちとお風呂さんで「ある事」をする為でした。銭湯の番台のおじさんからは「その時間帯にだけ特別に許されているある行為をする」のが目的でした。

何をするのかというと脱衣室で素早く裸になった下町のガキたちは脱衣所から一斉に銭湯の本丸に入ると一人一人が黄色い洗面器を手に持って洗面器に水・お湯を入れ始めるのです。そして、洗面器に「水・お湯」がいっぱいに溜まるとそれを銭湯のおじさんが綺麗に掃除してくれてピカピカになっている床にみんなで一斉に撒くのです。

床のウェット感がいい感じになったところで、大きな湯舟には入らずに、その大きな湯舟の淵の周りに一人一人がまるでオリンピックの背泳ぎの選手たちがスタートをする際に壁に向かって頭を点ける、あのスタート時の恰好をしては「1番〇〇行きま~す」と叫びながら湯舟の壁を足で蹴って銭湯の床を滑っていくのです。「2番手〇〇背中でなくて腹ですべりま~す」と今度は腹で滑り、手と足をぴんと延ばしてまるでウルトラマンかスーパーマンかのような恰好をして滑りぬけていくのです。みんなこれがとても楽しいのが分かっているので、とにかく黙々と滑ることに集中するのです。黙々と滑ることに集中するのには訳がありました。それは当時・番台のおじさんと「協定(約束)」があったからなのです。どういう「協定(約束)」かというと「お前さんたち子供以外の大人のお客さんが入店したら、その時点で、このスーパーマンごっこは止めること」というものでした。我々当時の下町のガキ軍団は、その「ごっこ」したさに、ちゃんとその決まりを守っていました。さすがに墨田区の下町には「銭湯好き」の大人の人たちも数多くいましたから「銭湯」が始まってから、もう本当に最初の数分間だけがガキたちにとっての束の間の「お楽しみタイム」だったのです。

でもある日の事「大人の人」の入店がかなり遅くなった日があったのです。その日は、大人の人がやってきたのがお店が始まってから35分も経ってからだったのです。この日ばかりはみんな思う存分に滑りに滑っていました。ある者はお腹の辺りが「赤く」なっているものもいました。

「家に帰ってお母さんに『どうしてお腹が赤いの?』と聞かれたらどうするんだ?」と誰かが聞いたら「日焼けした」と答えると言ったので皆で大笑いしたのを覚えています。大人の人達が来店したら「滑る」のを止めて静かに体を洗って湯舟に浸かって、静かに帰る ということをしていました。今から考えるとよく訓練された「ガキたち」だったというか、なんとちゃんと節度を守る「ガキたち」だったのだろうと我々ながら感心してしまうのです。それと同時にあの銭湯の番台さんのオジサンの寛容さにただただ感謝するばかりです。おじさんからはこうも言われていました。「いいか、お前さんたち。もしも頭を打ったり怪我人が出たら、二度と許可はしないからな。ケガだけはするな!いいな!!」と。

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上のお話しは、もう50年以上も前の昭和時代のお話しです。このような事、平成・令和の時代では許されることはないでしょう。なんとも大らかというか、自由というか。今考えると滑って大きな怪我をする可能性だってゼロではなかったわけですから・・・。今の時代では死語になっていると思いますが「わんぱく」という言葉。なんだか「わんぱくでもいい!」という表現が懐かしく思い出されます!