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アニメ「PLUTO」:主人公はアトムだけじゃない。見応えのある大人向けアニメ【映画162】

どうも「映画/健康雑談」高岡です!還暦+2です!

今から50年以上も前、幼い頃、テレビで初めて「鉄腕アトム」を観た時、幼い顔をした小さなロボットが足元から火を吹いて空を飛び、自分より体が何倍も何十倍も大きな悪いロボットを倒していく様をみて「この幼顔のロボットは何て凄いんだ!」と素直に驚いた事を覚えています。

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Sabine Langeによるpixabayからの画像

あれから50年経った今でも「鉄腕アトム」というキャラクターは健在。アトムは小さくて、優しくて、そして妹ウランちゃん想いの力持ちのお兄ちゃん!!

手塚治虫先生が創り出した「アトム」と「ウラン」は全世界で現役バリバリの存在感を見せつけ続けている!!

2020年にはフランス人スタッフにより幼い子供達向けの「GO! GO! アトム」という作品が製作されました。


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なんだか絵をみているだけで微笑みが浮かんできてしまいます。私、こちらのアニメもすべて見させてもらっていますが、やさしいキャラのアトムがそこにいると言った感じでこれはこれで良いんですよ~~!!

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でもなんですが、子供の時代に「鉄腕アトム」を観ていて大人になった皆さんに向けて今日ご紹介したいのは、浦沢直樹先生による大人のための「アトムアニメ・PLUTO」なのであります。

 

私はNETFLIXでこちらのアニメを見終えたのですが、正直、最初はなかなかこのアニメの世界観に馴染めませんでした。でも、第2話になってから、登場してくるキャラクター、ロボットたちに、心が共鳴していき、後は最後の8話まで一挙に見てしまいました。

 

我々に馴染みのある「アトム」か「ウラン」が第1話から登場してくれていたら、すんなり物語の中に入り込めたのかもしれませんが・・。そこはやはり浦沢直樹先生によるきっちりと出来上がっている「ロボット&人間が共存しよう」としている「世界」の中の物語。まず私がいけないのは浦沢先生のコミック漫画本「PLUTO」を読んでいなかったということなのです。あいすいません。

 

物語の展開をリードしていくキャラクターとして人間そっくりのロボットである刑事の「ゲジヒト」が登場してきます。「ロボットは人間を殺してはいけない」という決まりの中で起こる殺人事件。犯人は誰なのか?物語の主題ともいうべき「憎しみ・憎悪は完全に消すことは出来ないのか?」という命題を問い詰めていく本作。

 

※以下はYouTubeにあがっている「予告編」になります。


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「ロボット&人間が共存しようとしている」世界の中には何体かの世界有数と呼ばれているロボットたちが登場してきます。その一体一体のキャラクター設定もしっかりしていて、ロボットであるのに、彼らそれぞれに「魂」の共感を覚えてしまいます。

 

「ロボット&人間が共存しようとしている」近未来を描いているアニメなわけですが、登場してくる建物が素晴らしいし、道路を走る未来の車のデザインが洗練されていて何とも言えぬ格好良さがあるのです。観ていて吸い込まれてしまうほどの美しさとでも言ったらいいのでしょうか。また、この作品はシリーズを通して「花が咲き誇るシーン」が結構出てくるのですが、その花々の描写の美しいことといったらありません。出来ることであれば、そのシーン、一場面・一場面を抜き取って大きな額縁の中に入れて壁に飾りたいと思ってしまう程の美しさなのです。

 

ストーリーの後半から常に命題のごとく「ゲジヒト」によって投げかけられる「人間の憎悪は消えますか?消去しても消えないものですか?」という問い。そして、その問いかけの答えが「PLUTO」の正体へと繋がっていく!

「PLUTO」とは一体何者なのか?

人間ではない「ロボット」なのに。どうしてこの作品の中の「ロボット」は涙するのか?

 

この作品は、人間の存在に近づいているロボットが、直ぐ隣で生活するという世界のお話しであり「ロボットは人間を殺めてはいけない」という基本的ルールがある中でのお話しでもあります。

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私は、この作品は「名作中の名作(ベスト・オブ・ベスト)」だと思っています。「一つのおはなし」として十分に堪能出来ました。

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でも、なぜか観ていて「心」が急かされてしまったのです。それは自分の生活の中に「ロボット」の存在よりも先に「エーアイ/AI」の方に急速に入り込んできていて自分の生活の中に関わる割合が日に日に大きくなってきていると感じていることと関係しています。

最近、ファミレスで注文したものを運んできてくれる「配膳ロボット」を見かけたり、東京の高層の最先端のオフィスビルを訪れるとフロアに一台「セキュリティロボット」がいたりするのを見かけることが増えてきてはいるものの自分自身の日常生活の中に「ロボット」が入り込んできているかというと正直「エーアイ/AI」の方が断然上にきているように思うのです。

 

「何が言いたいのか」といいますと、人間と同レベルの人型ロボットが普通に我々の生活に入ってきている近未来が本当にあるのだとすると「この『PLUTO』のように統制された世界ではもういられなくなってしまっている?!」のではないかということなんです。つまり「エーアイ/AI」はすべての人型ロボットの「ブレイン機能」とコネクトしているがために、個々の人型ロボットは神の領域まで行っていそうな「超最先端であるエーアイ/AI」との関係をどうキープする、いや、個々の存在を保つことなどが出来ているのだろうかと訝ってしまうのです。

 

でも、私は自分が生きている間に、このアニメ「PLUTO」を鑑賞出来たこと、本当にありがたいと感じています。それだけでも、この21世紀に生きていられることに感謝してしまいます。

「江戸、明治、大正、昭和」といったどの時代に生れ落ちたとしても、完成されたアニメ「PLUTO」は鑑賞出来なかったわけで、そういう点から考えれば、今この時代に生きて、この作品を鑑賞出来たこと、大袈裟でなく、心底、感謝の気持ちでいっぱい