映画と健康/雑談で心ほぐし

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【雑談017】時代とともに「映画・映像番組」の楽しみ方(メディア)が変わってきています! その① ガラケイのサービスが無くなりますね!

どうも「映画/健康雑談」の高岡です。

趣味が高じて、エンタメ業界に勤務し続けておりますが、大学生から20代全般は年間300本以上の映画作品を見ていました。30歳になる直前に映画好きの奥さんと結婚しましたが、さすがに「結婚生活」がスタートすると夫婦・家族の為に時間を費やすことにもなりますので年間に300本を見続けることはなかなか難しくなってしまいました。

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           aalmeidahによるPixabayからの画像

私が高校生だった今から42~45年前にはDVD・BDなどのディスクはありませんでした。その一世代前の録画メディアであるVHSビデオカセットも世の中に誕生はしてはいたでしょうが、まだ日本では一般的に流通などはしていませんでした。だからお気に入りの映画が出来ると当時はロードショー(最初の劇場公開興行)の期間中に何度も映画館に足繫く通っていました。ロードショーが終了してしまうと、当時は日本の大きな都市には二番館、三番館と呼ばれる劇場があり、そこは俗に「名画座」と呼ばれていましたが、そういった映画館が数多く存在していたので「お気に入りの映画」は映画館を探しては、その映画がかかっている(上映されている)劇場を探しては電車を乗り継いではよく見に出かけたものでした。

(  私と同年代のブロガーの方の中には、この頃の思い出を綴っている方もいらっしゃいますねぇ、やはり。)

東京にレンタルビデオ店が登場してくるのが1980年になってからです。ここでようやく世の中の「映画好き・映画ファン」がテレビとビデオデッキを購入し設置してレンタル料金を払いさえすれば好きなだけ家で寝ころびながら映画を見ることが出来るという夢のような環境が、この世の中に出現したのであります。

当時、私が暮らしていた墨田区の押上の町にも「レンタルビデオ店」が数店舗できてきて、この事によって東京中の二番館の劇場に行くという生活様式が激減してしまいました。レンタルビデオ店を利用することにより観る映画の本数は増大しましたが、東京の二番館の映画館を訪れては、その町の美味しい飲食店を巡るという別の楽しみの機会を喪失させることになってしまいました。「う~ん、一長一短です。」

私の場合、個人的にはこの時期が人生で一番映画を見まくっていた時期だと思います。連休がある時などは一日に2泊3日で10作品を借りることもありました。考えてみると大学へ通い、バイトもしており、稼いだアルバイト代金は生活費とビデオ鑑賞代金に消えておりました。食べるお金を削っていたせいで栄養が偏ってしまい数年後に目の病気になってしまいました。自業自得です。

映画はまず劇場にかかり、見逃した映画はレンタルビデオで見ればいいという生活様式。こういう生活を10年、20年と続けていくうちに、この世の中にとんでもない新メディアが登場して、あっという間に世界中に普及してしまいました。そう「インターネットの出現」です。

インタネットの世界への拡散・普及によって日本人だけでなく、世の中全体が・世界の国々への情報伝達のスピードが高速で伝達するという方向に変わり、それがデジタルソリューションと結びついて、我々の生活に様々な方面で多大な影響を与えてしまいました。

大袈裟の言い方をしますが、このインターネットの普及によって人類は変わっていくことになってしまいました。良い意味でもあり、悪しき意味においても・・・・。

かなり前に亡くなっている私の祖父母が、仮に今の世の中を見たとしたら「私たちには追いついていけない」とこぼしてこの世に戻ることを拒否するような気がします。デジタルソリューションは確かに便利ではありますが、そのサービスの性質上、自ら近づいていき理解をしようとしない(出来ない)人には排他的になってしまいがちところがありますから・・・。

(※だから私は勝手に「1999年に人類は滅びる」といった「ノストラダムスの大予言」は当たったのだと思っています。当たったというのは言い過ぎかもしれませんが、ただインターネットの出現・普及の前と後では、人類はあらゆる面で変わってしまったことは確かだと思います。)

私の母は今、施設で暮らしています。今90歳に向かって健康で生活してくれています。でも、記憶力の方はかなり曖昧になってきています。夏になると水分が頭に行かないからなのか「テレビのリモコン」と「クーラーのリモコン」「携帯電話」の区別が出来なくなります。

そんな母ですから、使用しているのはもちろん「ガラケイ」です。その「ガラケイ」用のサービスも来年の一月から徐々に無くなっていくというニュースを今日テレビで見ました。私自身は「スマホ」を便利に使用してPCでも「グーグル」のあらゆるアプリの恩恵を受けているタイプなので「ガラケイ」サービスが無くなっても困らないのですが、ただ私の母は「ガラケイ」しか使ったことがない上に記憶力が極端に衰えてきているので「学習能力」自体も著しくダウンしています。一緒に暮らしていたら手取り足取り教えてあげられますが、このコロナ禍で家族も面会が許されていないという状況なので、唯一の連絡手段として大切にしているのが「ガラケイ」なので、これが使えなくなるという事は「母」との連絡手段が無くなってしまう事になるのです。「ガラケイ」から「スマホ」に切り替える時期になって、仮にコロナが落ちついて母のいる施設に赴いて私自身が母に「スマホ」のやり方を教えることが出来る世の中に戻っていたとして、その時の母の「能力・能力」がまだ対応可能かどうか・・。初めての「スマホ」で電話の受け答えと発信が出来るようになるのか。それを考えると早くから「ガラケイ」から「スマホ」への切り替えを急ぐべきなのかと考えだしたところなのであります。