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【映画058】映画「奇跡の人」映画の後のヘレン・ケラーとサリバン先生の人生!!(016付記)

どうも「映画と健康雑談」の高岡です!

※ブログ【映画015】の中でも書かせて頂きましたが、私は「ヘレン・ケラー」という人物は老若男女、日本人のほとんどの人が知っているものだとばかり思いこんでいました。でも、今やそうではありませんでした。

今の学校では「ヘレン・ケラー」のことを教える機会はほとんどなく、読書好きの生徒だけがこの名前がタイトルになっている本が図書館(室)にあることを知っているといったレベルだという事が分かりました。日本に3度も訪れたことがある歴史上の人物「ヘレン・ケラー」。私個人としては、大いに感銘を受けた人物であることもあり、若い人たちに彼女のことを知ってもらいたいと思い、改めて彼女に関するブログをアップさせて頂くことにいたしました。

よって、以下は【映画016】として一度アップさせて頂いているものを一部削除し・一部付記させて頂き、今回新たにアップさせて頂きます。付記した部分は青字にさせて頂きました。

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【映画015】では「ヘレン・ケラー」「サリバン先生」の激しくも尊い二人の関係を描いた映画「奇跡の人」を紹介させて頂きました。今日は映画で描かれた後の彼女たちの人生はどういったものだったかについてみていきたいと思います。映画「奇跡の人」ではヘレン・ケラーはサリバン先生の厳しくも温かい教育のおかげで指を使いコミュニケーションを取ることが出来るようになり二人で椅子に揺られながら眠っているシーンで終わります。

その後、ヘレン・ケラーとサリバン先生はどのような日々を過ごし、どのような人生を歩んだのでしょうか? 

まずは二人の出逢いまで遡ってみましょう。ヘレン・ケラーは1880年 6月27日に生まれます。

私が小学生だった頃、ヘレン・ケラーは幼い時の病気のせいで目が見えなくなってしまい、耳も聞こえず、それゆえに話すことも出来ない、いわゆる「三重苦」を抱えた少女として紹介されていました。

ヘレン・ケラーのブログを書いてから、やはり日本に来日したことがあるマザー・テレサとの親交はまったくなかったのだろうか?という素朴な疑問がおこりました。

7歳の時にヘレンの両親は聴覚障害児の研究家であり、電話の発明者としても知られるグラハム・ベルを訪れてパーキンス盲学校の校長先生を紹介してもらいます。両親はその校長先生に自分た日の娘・ヘレンの為に家庭教師の派遣の依頼します。そして、やってきたのが若干二十歳のアニー・サリバンでした。ですからサリバンの方が13才年上ということになります。サリバン20歳・ヘレン・ケラー7歳の時の出逢いとなります。我儘に育ってしまったヘレンに「学ぶ」姿勢を分からせるまでのサリバン先生の苦労は大変だったようです。

 
www.youtube.com

「学ぶ」姿勢を身に付けたことによってヘレンは高等学校にも行けるようになり、20歳の時にはラドクリフカレッジ(現在のハーバード大学)に入学することになります。

 

アニー・サリバンはヘレン(24才)の薦めもあり37歳の時にハーバード大学の講師でヘレン・ケラーの自叙伝の編集に携わった11歳年下のジョン・メイシーという男性と結婚します。そして、ボストン郊外のレンサムという町の家で3人で生活することになります。 

 

1909年 ヘレン・ケラー (29才)   

政治的・人道的な抗議運動に参加していき、著作家としての活動も始めます。

 

1910年 マザー・テレサ 現・マケドニア共和国にて誕生 

 

1913年 ヘレン・ケラー(33才)

ジョン・メイシーがレンサムの家を出ていき、サリバン(46才)の結婚生活は事実上、破綻。(サリバンが亡くなるまでメイシーは正式な離婚はしていない。)

 

1916年 ヘレン・ケラー(36才)

疲労が原因でサリバンの目の病気が再発。其の為、ポリー・トンプソンが二人のもとで働くようになる。

 

1917年 ヘレン・ケラー(37才)

生活苦となりそれまで暮らしていたレンサムの家を売却。ハリウッドでの活動、新しい書籍の出版などの活動を行っていく。

 1928年 マザー・テレサ、18歳、ロレト修道会に入る  

 

1936年 ヘレン・ケラー(56才,  マザー・テレサ  26歳

この年、アニー・サリバンが70歳で亡くなった。亡くなる前に「来日要請」が来ており、日本に行くことを躊躇していたヘレンに「日本に行っておあげなさい」と言ったことが遺言となった。

 

サリバン先生、亡きあとはポリー・トンプソンがヘレンのために通訳をすることになった。

 

1968年  ヘレン・ケラー(87才,  マザー・テレサ  57歳

その後は、87歳で亡くなるまで教育家、社会福祉活動家として活躍した。亡くなるまでに3度も日本に来日をしている。

 

映画の中では人形の「DOLL」のつづりを覚えるのがやっとだった7歳の少女ヘレン・ケラーが大学を卒業するまでになっていくなんて、正に「驚き」です。しかし、実際の大学へ入るための勉強はかなりハードだったようです。そして、しっかりと大学を卒業してしまうなんて、頭が良くて向学心が物凄く高かったのでしょうね。う~ん凄いです。

アカデミー賞助演女優賞をヘレン・ケラー役で受賞したパティ・デュークは1979年の「奇跡の人」のリメイク作で今後はサリバン先生役をしているんです。それと彼女の息子さんはあの「ロード・オブ・ザ・リング」でフロドの従者サムを演じていたショーン・オースティンなのです。う~ん、感慨深いなぁ~!

 

ヘレン・ケラーとマザー・テレサが生前に親交があったのだろうかという私の素朴な疑問なのですが、お二人はそれぞれアメリカとインドというかなり離れた国で暮らしていたので直接会うことは難しい状況だったと思います。インターネットで世界中の情報が即座にゆきかっている21世紀の今であれば、二人がリモートで会話をする機会を創ろうと思えば作れたのかもしれません。しかしながら、お二人が過ごされた1960年代ではインターネットは存在していません。時代的にマザー・テレサはヘレン・ケラーの存在は知っていたでしょうが、二人の間に何かしらのやり取りがあったという記録はどうもない(?)ようです。(この件は、個人的にもリサーチを続けてみたいと思います)