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【人生ほど重いパンチはない : 024】カーネル・サンダースの人生その① (再掲出3) 

どうも「映画/健康雑談」の高岡です。還暦+2です。

☆2023年12月になりました!☆    今年の年末、何度も胆に銘じておきたい「男の生きざま」として彼「カーネル・サンダースさん」について書いた去年のブログを今一度再掲出させて頂き、彼の人生を思い返してみたいと思います。

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上記フォトはPixabayからの画像になります

彼が世に広く知らしめた「ケンタッキーフライドチキン」が美味しいことは発祥の国アメリカは元より日本の国民の大半はその存在を知っており、その美味しさもだいたいの日本人が知っていると思います。しかし、その美味しさは自然と広まったのではなく、彼・カーネル・サンダースという一人の男の「折れない心」があったからこそ我々は日常生活の中で口にすることが出来ているのです。

「ケンタッキーフライドチキン」のお店に行くと、どの店舗にも上下に白い服を纏った「カーネル・サンダース」さんの等身大の人形が置いてありますね。最近は、何だか余りにも馴染み過ぎていて、立っていても、気づかない時があったりしませんか?

しかしです、以下の彼の「人生」をあなたの胸に深く深く刻みつけると以後「ケンタッキーフライドチキン」にチキンを買いにいったら「カーネルおじさん」の人形に思わず握手を求めたくなっていまうかもしれません!

では「カーネル・サンダース」さんの人生と根性が「如何にハンパなかった」のかを、彼の年齢とともにみていってみましょう!

 

1890年    0歳 

インディアナ州 ヘンリービルに3人兄弟の長男として生まれる。本名はハーランド・サンダース。

 

1896年  6歳 

父が亡くなってしまい、母子家庭となってしまう。

 

1900年  10歳 

母と家計を助ける為に働き始める。母親から「仕事をする上で大切なことは、ベストを尽くすこと」と教わる。

 

1908年  18歳

最初の妻、ジョセフィンと絵の展覧会で知り合って結婚。この後は、ガンコですぐにカっとなる性格が災いするのか、39歳になるまで職業が定まらない状況が続く。鉄道員、弁護士(当時は資格は必要なかったそう)、保険の外交員、商工会議所の秘書、ランプの製造販売、ミシュランタイヤのセールスマンなど。

 

1929年  39歳 

ガソリンスタンドを自ら経営することをはじめる。こうしてようやく転職することがストップします。しかし、1929年に起こった「世界大恐慌」により状況は一変、折角、うまく行き出したガソリンスタンドを手放すことになってしまいます。

 

1930年  40歳

今度は、シェル石油が、コービンという町に建てる新しいガソリンスタンドの経営の話しをカーネルに持ちかけてきます。コービンという町は、国道25号線の分岐点にあることから、交通量があり、食事や休憩・宿泊するには持ってこいの場所でした。カーネルは、もう一度、ガソリンスタンドの経営にチャレンジしていきます。ガソリンスタンドに来るお客の誰もが腹を空かせてやってきていることに気づいたカーネルは、ガソリンスダンドの中に軽食が食べられるフェを設けることにします。そのカフェは評判となり、ガソリンスタンドの経営はうまく行きはじめます。彼はこのカフェをレストランに変えたところ、さらに評判となり、ビジネスは、順調に伸びていきます。

ビジネスが、順調にいき出した矢先、ブライべートでは、息子ハーランドを病いで亡くしてしまいます。

 

1935年  45歳

このレストラン「サンダース・カフェ」は、とても美味しいと評判となり、その功績がケンタッキー州の知事から表彰されることになり、サンダースに、その時に「カーネル」という称号が正式に授与されたのです。

 

1939年  49歳

順調に進んでいた「サンダース・カフェ」のビジネスでしたが、この年、災難が降りかかります。ある朝、カーネルは電話の音で目を覚まします。それは10年かけてようやく築いたレストランとモーテルが「火事」で全焼してしまったという知らせでした。

カーネル・サンダースは完全に落胆してしまい「もうレストランビジネスはしない」と思うのです。

日本の武将、織田信長は「人生五十年」と死の間際に踊りを舞ったと言われています。「人の寿命が50年」と言われていた時代では、おそらく49歳という年齢は人生の最終局面にあると思われていたことでしょう。

 

1939年、49歳でカーネル・サンダースは、それまでの10年間、頑張って築いてきたレストランとモーテル、それらすべてを失くしてしまいました。精魂込めて築いたものがゼロになってしまったわけですから「もうお終い」という気持ちになるのは当然ですよね。彼が、この時、レストランビジネスを本当に止めてしまっていたら、今や全世界の人が食べるのを楽しみにしている「ケンタッキーフライドチキン」は存在していなかったかもしれません。そう考えると、この時の「カーネル・サンダース」さんには、兎に角、「踏ん張ってくれ~~、ぼくらにあなたのフライドチキンを食べさせてくれ~~」とエールを送ってしまうのです。まったく届かない声ではあるのですが・・・。

 

我々が知っている「ケンタッキーフライドチキン」という会社がこの世に誕生するのは、まだまだ先の「カーネル・サンダース」が65歳の時なのです。火事でレストランを失くしてしまったのが49歳です。50歳から65歳までの彼がどういう人生を歩ゆんでいくのか、なんだか、とても気になります!次回、じっくりと、そのあたりの彼の生き様をみていくことにしましょう。      To be continued !!  つづく

上記のブログ(記事)を書くにあたり、藤本隆一著「65歳から世界的企業を興した伝説の男、カーネル・サンダース」(産能大学出版部刊)を参考にさせて頂いております。