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WBCの栗山元監督も異次元にいる人だと思うんです!【人生ほど重いパンチはない034再掲出】

どうも「映画/健康雑談」高岡です!

☆今年2023年の春のWBCで侍ジャパンを率いていた栗山監督も、大谷翔平同様、やはり異次元にいる人だと思います!!☆ 

2023年のWBCで見事に世界一になった栗山英樹元監督を、私は大谷選手同様に異次元の世界にいる人物だと思っています。

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上記フォトはPixabayからの画像になります。

栗山氏の「物事の進め方」は、今迄の、どのプロ野球選手/監督とも違うように思います。これは、彼が野球という本道を歩んできてはいるけれど「甲子園で活躍したスター球児」が歩む野球道とは景色が違う道を歩んできたからではないかと思っています。

栗山氏は、小学校時代に兄の影響で「野球」を始めましたが、中学に入るとバレーボール部に所属してセッターをしていたそうです。そして、高校時代にまた野球への情熱を燃やすようになり甲子園を目指すようになります。しかし、結局は甲子園出場の夢を果たすことが出来ずに、大学進学の道を選びます。そして、見事、国立の東京学芸大学の教育学部に入学します。この時点では将来の目標を「学校の先生」になることに置いていたようで、在学中に小・中・高校の先生になれる資格を取得してしまったそうです。この頃の栗山氏は何故に教師になろうとしていたのか?と思っていたのですが、彼の父親が「教師」だということを知って「なるほど」と納得しました。教員になる資格を取ったとはいえ、やはり「野球選手」への憧れは拭い去ることが出来ず、彼は西武ライオンズとヤクルトスワローズの入団テストを受けます。そして、見事にヤクルトの方の試験に合格してドラフト外でプロ野球の世界への扉をこじ開けます。その時、父親の方は息子を応援してくれたのですが、母親がプロ野球選手になることに反対だったようで、栗山氏は母親に「兎に角、3年間はプロ野球の世界で勝負させて欲しい」とお願いしたそうです。

 

「ドラフト外で、入団テストを突破した実力者」

 

野球選手としては「ヤクルトスワローズ」で、引退後の監督としては「日本ハムファイターズ」で活躍したのは皆さんご存知の通りです。

思うに、栗山氏は29歳で現役を退いてからニュース番組のスポーツキャスターを長くしていました。このニュースキャスターという仕事は「野球」を外から観察し・勉強し続けるには最適の職業だったのではないでしょうか。

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栗山氏は、これ迄に何冊も本を出しているのですが、その中の一冊に「栗山ノート」(光文社:刊、もう既にパート2が出版されています)という本があります。この本を購入した時、正直、中身を見ずに買ってしまいました。てっきり、本のタイトルから栗山監督が普段、野球人として過ごしている生活の中で書き溜めた「栗山流野球の戦術」なり「選手の起用法」に関するメモを整理した書籍なんだろうなと思っていたのですが、読んでみると内容は全然違いました。もちろん野球に関する記述は随所に出てくるのですが、その内容は栗山監督に感銘を与えた古今東西の先人・偉人達の言葉の数々で埋めつくされていました。その言葉とは「老子」「論語」「四書五経」などの中国の古典やら経営者や化学者、学者などが発した「金言・人生訓」ばかりなのです。その言葉の多さに圧倒されます。栗山氏はどれだけ多くの本を読んでいるのだろうと驚嘆してしまいました。この本には色々と興味を惹かれる記述があるのですが、以下の青字の栗山氏の言葉に彼の采配の根幹に通じる基本的な考え方が凝縮されているように思いました。

「 私たちが携帯電話を使い始めたのは、1990年代の中ごろでした。(中略)手のひらに収まる携帯電話が一般に流通するなんて、80年代には考えらえなかった。あったらいいな、と誰もが思っていたでしょう。けれど『それは無理だよね』という諦めが支配的だった。ところが、自動車電話ができて、ショルダータイプの電話ができて、ポケベルが普及して、ついに携帯電話が市場に登場した。『あったらいいなぁ、欲しいなあ』と考えた人たちが知識を総動員して、みんなが嬉しそうに使う姿を想像して、楽しみながら、作り上げたのだろう、と私は思います。」

 

1980年代迄、我々日本人は誰もがいつの日か「日本の野球選手がアメリカのメジャーリーグで活躍するような日がくればいいな」と思っていました。けれど「それは無理だよね」という諦めが支配的でした。ところが1990年代になり、野茂選手がロサンゼルスへ渡りドジャーズで大活躍をします。遂に大リーグという野球の本場で活躍する日本人プレーヤーが登場したのです。そして、いつしか「あの選手も大リーグにいったらいいのになぁ、アメリカに行って活躍して欲しいなあ」と考える人たちが増えていきました。すると、本人の努力はもちろんですが、野茂選手に続く選手を生み出そうと選手の廻りのスタッフも知識やノウハウを総動員して新たなる「夢」に向って 苦労と努力があることはもちろんでしょうが、きっと楽しみながら、野茂選手やイチロー選手に続く選手たちが数多く海を渡れるようになれば良いのになぁという気持ちの流れが生みだされていったのだと思います。

1980年代まで「それは無理だよね」と思われていた日本人全体の常識が、「携帯電話」の時もそうでしたが2023年の今、ダルビッシュ選手、大谷選手、吉田選手、その他の日本の優秀な選手が海を渡って大リーグで活躍する姿を目の当たりにしている訳で「過去に不可能と思われていたことは、実は可能になることがあるんだ」と事実を、嫌というほど、思い知らされているのです。大谷選手の活躍は、昭和世代のおじさん、おばさん達の常識からすると「漫画の中の架空の出来事」が現実の世界で起こってしまい「昭和世代の架空の世界」をいつしか追い越してしまいました。

今年の春のWBCを闘ったメンバーの凄さは、皆さんもご存知のとおりです。ヌートバーという選手を招集した人は誰ですか?大谷選手、ダルビッシュ選手を呼び寄せた人は誰ですか?一人一人の選手から「熱い(厚い)信頼」を勝ち得て世界一に導いたリーダーは誰ですか。こう考えるとやはり「栗山英樹」という人物もやはり「異次元」レベルの人なのだと思えてしまうのです。

※ヌートバー選手に直接コンタクトを取ったのは、大谷選手の通訳である「水原一平」氏であったと「アッコにおまかせ」では報じられていました。

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栗山氏は、アメリカでの準決勝の試合も「野球が好きなことは当たり前なのだから、あとは本人たちが十分に楽しむことが必要だ!」と思っているところがありますね。あらゆる書物を読破することによって「強さは、もろさも併せ持っている」ということも十分に認識なさっている方なのだと思います。

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ちなみに、栗山氏は元ヤクルトの選手であり、古田敦也氏も元ヤクルトの選手ですが、二人の間の関係を調べてみました。栗山氏がヤクルトの選手として活躍したのは1984年~1990年の6年間です。そして古田さんは1990年~2007年の17年間です。年齢は栗山氏の方が4つほど年上です。ですのでヤクルトの選手としては栗山氏の方が古田さんの先輩になります。このお二人が現役時代に一緒にプレイをしたのは1990年の1年間だけなのです。古田さんによると入団して最初の一か月は栗山氏が古田さんの教育係りとなり、同じ部屋で生活していたことがあったのだそうです。