映画と健康/雑談で心ほぐし

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【映画064】「浅草キッド」を観て、昔の浅草を思い出していたら映画「エレファントマン」(80)の事を思い出しました!【前編】

どうも「映画/健康雑談」の高岡です!

このブログの【映画59】で劇団ひとり監督作品「浅草キッド」のことを書かせてもらいましたが、その時は主に「たけしさん」が浅草で修行していた1970年代の浅草の様子を思い出しながら書いていたのですが、あのブログを書き終わってからも自分の中の「浅草」回顧は続いていて、私が小学生の低学年の時代、1960年代後半の頃の「浅草」のことまでもが懐かしく思い出されました。

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Sabine Langeによるpixabayからの画像

私は4歳の時に母子家庭になってからは「祖父母や母の兄弟、姉妹たち」と一緒に暮らす所謂「複合家族」の中で育ちました。一時期は一つ屋根の下に大人と子供合わせて13人で暮らしていた時期もあり、その頃はなんともまぁ賑やかな「下町の家族」といった感じでした。それゆえに母子家庭とはいっても全然寂しくない環境の中で幼少期を過ごすことが出来ました。その頃の私の祖父は家で商売をしており、その商売はそれなりに順調であって、月に一度か二度、祖母が祖父の代わりに「納品」および「集金」をする為に押上から「須田町」行きの都電に乗って出かけていくのですが(バスではなく昭和40年代のお話しで路面電車と呼ばれていた「都電」という乗り物があって道の真ん中に乗り場があるんです)その時、おばあちゃんは決まって私を一緒に連れていってくれました。その「お使い」の帰りにおばあちゃんは夏は「アイスクリーム」を、冬は「たい焼き」を買ってくれたので、私はいつも喜んでついていっていました。

ある日の事。その日はおばあちゃんが何か買い物があったので「浅草」に寄っていこうということになったのです。今思い出すと、おそらく伝法院通りの奥の方から浅草寺に向かって歩いていたと思うのですが、途中に「えもいわれる『見世物小屋』」があり、なんだかおぞましい絵が書いてあったりしたので、子供心に「こわい物見たさ」から祖母に「おばあちゃん、あの小屋の中に入ってみようよ」と袖をひっぱってみたのですが、おばあちゃんは私の言う事には耳を貸さずに私の手を取ってずんずんと浅草寺の方へと歩みを進めていくのです。そして、浅草寺の横辺りにつくと私に向かって「いいかい、あの小屋には今後も友達たちと一緒であっても行ったらいけないからね。あそこに入ったら『人さらい』にあってもう二度と小屋から出てこられなくなるんだよ。」ときつく諭されました。祖母は「人さらい」という言葉を使う事で孫の私を「見世物小屋」に近づけないようにしたのだと思います。ですから「見世物小屋」なる小屋に入れたのは高校生の時だったか?大学生になってからだったか?初めてあの小屋の中をみた時は「なんとまぁ下卑てるなぁ」という印象を持ちました。見世物としては、大きな蛇を体に這わせたり、あまり見たことのない動物を見せたり、人道的にはいけないことだと思うのですが、身体に異常のある人を見世物にしていたりしていました。ですが身障者の人にとっては貴重な収入源になっていた事も確かにあったようです。

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そういえば海外の映画作品でも「見世物小屋」が映画の中に出てきた作品があったなぁと思い返してみたところ「エレファントマン」という作品があったのを思い出しました。

「エレファントマン」のモデルになった人物ジョン・メリックは19世紀の末にイギリスに実在した人物です。母親が妊娠中に「象」に襲われてしまい、胎児であるジョン・メリックの頭部は異常に大きくなり、唇びるは大きくむくれていて、肌には無数の瘤(こぶ)があるといった奇形を抱えて生まれて来ます。その「奇形なからだ」を興行師のバイツは動物以下の扱いをして「見世物小屋」でお金を取って彼の体を人前にさらし続けます。1884年、ロンドン病院の医師で解剖学専門のサー・フレデリック・トリーブスが見世物になっているジョン・メリック(エレファントマン)の存在を知って、興行主のバイツに研究目的を理由に交渉して病院の中の一部屋に彼を住まわせて面倒を見ることにします。このことによってジョン・メリックは初めて自分の「部屋」を持つことになるのです。しかし、トリーブス医師のように彼の動向を温かく見守ろうとする人たちがいるかと思えば、興行主のバイツのように連れ戻して「見世物小屋」で働かせ続けさせようとする輩、あるいは邪悪な心で彼を蔑視している病院のボイラーマンは、夜になると男性だけでなく女性も集めては「エレファントマン」の部屋に興味本位でずかずかと入っている「心無い」人たちもいたのでした。

 

公開当時(日本公開は81年5月)、その内容からかなり物議をかもした作品ではありましたが、2021年の今、じっくりと観なおしてみると、物語の内容自体かなりショッキングであることはもちろんなのですが、監督・スタッフ・出演者たちにとってもかなりのターニングポイント的な作品になったのではいかと思います。

 

この作品はイギリスとアメリカの合作映画で監督は、後に「ツインピークス」で社会現象を起こすことになる「デビット・リンチ」です。彼がこの作品の前に製作した正にデビュー作品である「イレイザーヘッド」には個人資金をつぎ込み5人の仲間と5年の歳月をかけて完成させました。そして、この作品がプロデューサーであるジョナサン・サンガーの目にとまり「エレファントマン」の監督に抜擢されることになりました。

エレファントマンを病院に引き入れるトリーブス医師を演じたのは、後に「羊たちの沈黙」(91)でレクター博士を演じてアカデミー賞主演男優賞を獲得するアンソニー・ホプキンスです。    つづく