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 「ズーフハルマ」って何だか分かりますか?【人生ほど重いパンチはない:再掲出29】 

どうも「映画/健康雑談」の高岡です。還暦+2です。

このブログは普段「お薦めする映画」「健康に良いこと」「私の日々の雑談」を書いていますが、若い人にも読んで頂きたいとの思いから別のブログで書いていた記事をまとめて転載させて頂いています!

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上記フォトはPixabayからの画像になります。

「ズーフハルマ(ヅーフハルマ, ドゥーフハルマとも言われています)」って何のことかご存知ですか?

「知っている」「聞いたことがある」という方も「細かく説明してみてください」とお願いした場合、よほど語学に詳しい方でないと事細かく説明するのは中々難しいのではないでしょうか?「ズーフハルマ」とは「蘭和辞典」のこと、つまり「オランダ語の辞書」のことです。

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江戸から幕末の時代、日本の中で貿易・通商の世界への窓口は「長崎」であり、当時の「長崎」で使われていた主要な言葉は「英語」ではなく「蘭語=オランダ語」が主流だったのです。Wikipediaによると「江戸時代の後期に編纂されたとされ、長崎に長期滞在していたヘンドリック・ドゥーフが最初は個人利用の為に作成したものだったのですが、幕府から『通詞の語学力向上の為』にとの目的から、その編纂が正式にスタートしました。ページ数が3000ページを越え、印刷ではなく、すべて写本という手法で作成され、出版された数は33部のみ」といった結構レアな辞書が「ズーフハルマ」なのです。

さて、ちょっと話しは変わりますが、私が「ズーフハルマ」という「ワード」をどこで知ったかというと、若い時に読んだ「勝海舟」の伝記の中に登場してきました。私自身、墨田区の押上育ちなのですが「勝海舟」が隅田は本所の出身ということで、郷土の偉人であり大先輩ということで、一時期「勝海舟」に関する様々な書物を読み漁っていた時期がありました。

とにかく若い日の「勝海舟」はとても貧しかったと、どの文献にも書かれていたので、きっと本当に貧しかったのでしょう。そんな中に「勝海舟」の「知恵」とそれをやってしまう「実行力」に舌を巻いてしまうエピソードがありました。

これからは「蘭学」の世の中だと思った勝海舟は伝えもれきく「ズーフハルマ」という「蘭和辞典」とはどういうものか「どうしても見てみたい」「出来ればほしい・手にいれたい」と思うようになりました。年齢でいうと25、26歳あたりです。

そして、ここからが「人並みはずれた実行力・行動力」だと思うのですが。欲しいと思った「ズーフハルマ」は買うには高額すぎてまったく手が出ない。そこで「ズーフハルマ」を購入した人物の情報を当時の本屋の店主に教えてもらい、その購入者のもとを訪ねていきました。購入者は、赤城玄意という蘭医であり、いきなり知らない青年がやってきて「ズーフハルマを貸して頂きたい」と言ってきたので、最初は断ったそうです。しかし、あまりにも熱心に頼みに来て「借り賃を払うので是非お願いします」とまで言ってお願いをし続けます。さすがに根負けした赤城玄意はついに海舟にその本を貸すことにします。ですが「条件」がありました。自分の家から出すことは認めないので「私が寝た後、赤城家の一室での使用のみを認める」というのです。(この件は、私の記憶を頼りに書いているところがございます)海舟は、この条件を呑んで一年をかけて夜になると自分の自宅から赤城家に通い、全58巻、3000ページにも渡る「辞書」をまるまる写本していくのであります。しかも勝は一度に2冊分の写本をしていったのです。どうして2冊なのかというと、一冊は、それを売って、そのお金を赤城氏への返済にあてるためでした。

「58巻、3000ページもある辞書を2冊分、一年間かけて写本するというその根性見上げたもんだ」と言いたいところですが、ちょっと待てよと思いました。

 

「勝海舟が1年をかけて2冊の写本をした。しかも毎晩のように自宅から赤城家を訪れていた」。

 

考えてみると、この現代でも「行きたい大学」を目指して「一年間あるいは二年間の浪人生活」をする受験生は普通にいたりします。それに彼らも「予備校」なるところに毎日のように通っています。「蘭学」を学ぶ身の海舟としては、2冊分写本することは、何も特別なことをしたわけではないのかもしれません。ただ「現代の受験生」と「勝海舟」の生きていた時代の「利便性」は全く違うと思います。

今の世の中、家にコピー機・プリンターがなければ、近くのコンビニに行けば白黒なら10円でコピーが出来ます。しかも、しっかりとした「良い紙」でマシンから出てきます。でも勝海舟が生きていた時代では紙自体がとても貴重なものでした。

今の世の中、夜になると部屋のスィッチをオンにすれば天井の「蛍光灯」がパッとついて部屋全体が明るくなるのが当たり前です。ライトを点ければ容易に物がかけるようになりますが、海舟の時代ではそうはいきません。「蛍光灯」どころか「電球」すらなく、夜は「油に火を灯す」ことによって「明るさ」を確保していました。その明るさは「蛍光灯 / 電球」に比べたら「暗いぞぉ~」と叫びたくなる位「暗かった」筈です。紙もかなりの枚数が必要だったでしょうし、毎晩、夜から明け方まで灯し続ける油の代金だってばかにならないでしょう。それぞれを購入する為、お金は奥さんの着物を質に入れて作ったものだったそうです。

窪島一系氏もその著書「海舟清話 胆力をつける男の美学」(中経出版社より)の中でこの事を書いているのですが、肝に銘じておきたい文章でその章を締めくくっております。その文章を以下に引用させて頂きます。(※この書籍は、海舟の人生訓が満載なので、お薦めの一冊です!)

「もし成功しなければ、成功するところまで働き続けて、けっして間断があってはいけない。世の中の人は、たいてい事業の成功するまでに、はや根気が尽きて疲れてしまうから出来ないのだ」