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【映画075】高校時代、スピルバーグの「未知との遭遇」を観たのは「テアトル東京」という劇場でした!!

どうも「映画/健康雑談」の高岡です。

このブログの【073】で映画「ジョーズ」のことを書いた後、中学生から高校生の頃にスピルバーグの新作を初めて「劇場」で観た時のことを色々と思い出していました。そんな訳で、今日は1978年に日本で公開された「未知との遭遇」について書いてみたいと思います。

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Sabine LangeによるPixabayからの画像

「未知との遭遇」には「オリジナル劇場版」「特別編」「ファイナル・カット」という3つのバージョンが存在しますが、私としてはやはり初めて劇場で観た「オリジナル劇場版」が正当な作品なのではという思いを持ってしまいますね。ただ別バージョンが2つもあると「一粒で3度美味しい」気分を味わうことは出来ましたが・・・・。「激突!」「ジョーズ」という2本の作品でかなりスピルバーグに影響されていた高校時代の私はまたしてもこの作品「未知との遭遇」を観てから、またしても何度も同じ映画を「名画座」に見にいくということにはなるのですが、ただ初めてこの作品を観たのは中央区の京橋にあった「テアトル東京」という当時の東京の中でもその座席数が1000以上もある大きな劇場であり、客席に向かって大きく緩やかな円形を描いているその「巨大なスクリーン」が特長で、その大きな画面で観た「未知との遭遇」は正に圧巻以外の何物でもありませんでした。その後「テアトル東京」を越えるクオリティでこの作品を鑑賞することは出来ませんでした。「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」もこの「テアトル東京」で観たのですが、やはり素晴らしいクオリティで作品を楽しむことが出来ました。

後に「未知との遭遇」のDVDがリリースされてディスク内の特典映像の中にスピルバーグと主演のリチャード・ドレイファスのインタビュー映像がありました。その中で二人がそれぞれがとても面白いことを言っていたのでご紹介させて頂きます。今では主人公の電気技師・ロイ役はリチャード・ドレイファスの当たり役のようになっていますが、最初、スピルバーグはこの役を「スティーブ・マックイーン」に依頼していたんです。スピルバーグは、マックイーンを何とか口説こうとしていたようなのですが、マックイーンは「これは素晴らしい映画になるでしょう。私はこの脚本の通りに演じることが出来ないので引き受けない方がよい、その方がこの映画の為になる」といって断っているんですねぇ。

逆にリチャード・ドレイファス「自分がいいのではないか。」と一生懸命にスピルバーグに自分を売り込んだわけですが、スピルバーグとしてはリチャード・ドレイファスはどうしても「ジョーズ」の時の「海洋学者のフーパー」のイメージが強くて、最初はまったく取り合わなかったそうです。ドレイファスこのロイという役には「こどもの心」を持った人間が演じるべきだと力説しました。この「こどもの心」というフレーズがスピルバーグの気持ちを動かして、ドレイファスは、この役を射止めることが出来たのだそうです。

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「未知との遭遇」の公開前に劇場で最初に目にした予告編はとても意表をつくものでした。真っ暗な一本道を車が走っているシチュエーションで光が道路の向こうまで照らしていて、

そこに故・広川太一郎のナレーションで

「第一次接近遭遇とはUFOの目撃をいう」

「第二次接近遭遇とは目撃したUFOが残した物理的な痕跡をいう」

「第三種接近遭遇とはUFOに乗っている者と直接遭うことをいう」

というだけのものでした。私は最初「なんだこりゃ!一体どういう映画なんだ?」とかなり興味を惹かれて「観たい」という気持ちをとても刺激されたのを覚えています。

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※以下には映画の【ラスト・ねたばれ】の内容が含まれていますので【ラスト・ねたばれ】を知りたくないという方はここで読むのをストップなさってください。

「未知との遭遇」を初めてみた時、皆さんも、「えっ、これで終わりなの?この後の展開はどうなるの?続編はつくられるの?」と思いませんでしたか?結果的には、あれがラストであり何も変わりようはないのですが・・。きっといつの日か、人類が本当に異星人と接触する日がきて、そこで初めて「映画の続き」が現実の世界で展開されていくのかなぁというのが、私の解釈です。

私が還暦になったからかもしれませんが、最近、個人的に違う解釈も加わりました。これはあくまでの私の勝手な個人的な解釈なのですが・・。我々は、日頃の会話の中で「人が亡くなること」を「あの世からお迎えがくる」と表現することがありますよね。もしかしたら、あの映画のラストシーンはそのお迎えが来て、主人公は地球から「空/宇宙」に飛び立っていき「星」になってしまったのだという解釈です。おそらくあのままだともう彼は地球には帰ってこないでしょうし・・・。どこか違う星でいつかはその人生を終えるでしょうし・・・。スピルバーグは「特別編」でのラストにだけ「ピノキオ」の主題歌である「星に願いを」を挿入しています。宇宙に飛び立っていった彼に対しては、ただただ知的で優しい宇宙人と共に過ごすことになる「めでたし、めでたし」の生活が待っていることを祈るのみです。何故なら、他の物語では宇宙には「エイリアン」という生物はいるし「プレデター」もいることになっていたりするのですから。