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【映画067】「メリー・ポピンズ」「サウンド・オブ・ミュージック」「チキチキバンバン」明るい気分にしてくるミュージカル映画は最高だなぁ!【 中編 】

どうも「映画/健康雑談」の高岡です!

「サウンド・オブ・ミュージック」(65)

この作品はジュリー・アンドリュース「メリー・ポピンズ」(64)の次に主演したミュージカル映画です。グレース・ケリーやドリル・デイの名前も主演の候補に挙がっていたそうですが、監督のロバート・ワイズ氏が「メリー・ポピンズ」公開前でまだ無名だったジュリー・アンドリュースを主役に抜擢したのだそうです。

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Sabine Langeによるpixabayからの画像

物語は1938年のオーストリア・ザルツブルグが舞台です。妻を亡くし子供たち7人と暮らすゲオルク・トラップ大佐の家に家庭教師としてやってきたジュリー・アンドリュース扮するマリアは徐々に子供たちと心を通わすようになります。そして、彼らが悪戯などを行うのは父・ゲオルクに自分たちの存在にも気を止めてほしいからだという子供たちの本心を聞き出します。そんな子供たちに「それでは、みんなで『歌』を歌ってみてはどう?」と提案をしてみるのですが、母親を亡くしてから子供たちは「歌」を歌ったことがなく「歌い方」を忘れてしまったというので、マリアは子供たちに基礎的な歌である「ドレミの歌」を教えることにします。

自分の教育方針に合わないと判断したゲオルクはマリアを解雇してしまいます。しかし、子供たちの合唱する声が、ゲオルクにも「歌」を歌う喜びを思い出させ、マリアに謝罪して彼女に家庭教師を続けてほしいと依頼するのでした。この時、ゲオルクにはエルザという婚約者がいたのですが、ゲオルクはだんだんとマリアに心が動いていきます。本当に結婚すべき相手が誰であるのかが分かったゲオルクはエルザとの「婚約を解消」しマリアに愛を告白して二人はめでたく結婚することになります。結婚後、二人は新婚旅行に出かけるのですが、ナチスが台頭してきている1930年代の世界情勢の中、ドイツ軍の手はオーストリアにいるゲオルク一家にも迫ってきます。そのような社会情勢に納得がいかないゲオルクは反抗的な態度をとってしまいます。そんな彼に対して出頭の命令が出てしまいます。時を同じくして、彼の子供たちが「合唱コンクール」へ出場することが決まります。果たしてゲオルクと彼の一家はドイツ軍に囚われてしまうのでしょうか・。結末は、どうなってしまうのか!

この結末は実際に映画をご覧になって確かめてみてください!

 

この「サウンド・オブ・ミュージック」が劇場公開されたのは1965年でした。その前年の1964年は「メリー・ポピンズ」が公開されて大ヒットとなったわけですから1960年代という時代は正に「ジュリー・アンドリュースの時代」だったと言っても過言ではないでしょうね。

 

この映画を観る度に思うのですが「なんとまぁ素晴らしい『ドレミの歌』の歌と歌声なのでしょう!しかも振り付きで聞かせてくれるです!」

私と同世代のシニアの方々は「こどもの時」に嫌というほど聞いたり歌ったかもしれません。ゆえに「もういいよ、今更『ドレミの歌』は」とお思いの方も多いと思います。また、若い方で、この映画とこの「ドレミの歌」のシーンを観たことがないという方には是非観て頂きたい映画ですし「以前、観たことがあるからもういいよ!」と思っていらっしゃる私と同世代の方々にも、今一度、機会を作って、是非映画の中の「ドレミの歌」のシーンを観直してほしいと切に思ってしまうのです。

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それと、今や日本人にはお馴染みのメロディーとなっているJR東海の「そうだ京都行こう」「旅」のコマーシャルの中で使われている「MY FAVORITE THINGS、私のお気に入り」という曲をジュリー・アンドリュースが歌っているんですが、これがまたとんでもなく素敵な歌声なのです!

 

( どうしてもこの曲を思い出したいという方は、ネットで「JR東海、そうだ京都行こう」で検索してみてください。「JR東海」の素晴らしいCMに映し出されている美しい日本の景色の映像と融合している色々なタイプの「MY FAVORITE THINGS、私のお気に入り」に出会えると思いますよ!! )

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さて、見目麗しいジュリー・アンドリュースですが、2度の結婚歴があります。一度目は幼馴染みのトニー・ウォルトンというコスチュームデザイナーと結婚しました。彼は「オール・ザット・ジャズ」という作品でアカデミー美術賞を受賞しています。彼とは7年後に離婚しています。

そして、2度目に結婚したのが「ピンクパンサー・シリーズ」で知られている映画監督のブレイク・エドワーズ氏です。13歳という「歳の差婚」でした。二人は再婚同志だったのですが、ブレイク・エドワーズ氏が肺炎による合併症により88歳 (2010年没)で亡くなるまでの41年間もの長きに渡りハリウッドで有名なオシドリ夫婦だったのです。

二人の最初の出会いはお互いがサンセット大通りで信号待ちをしていた車の中だったとのこと。最初は軽い挨拶だけだったのだけれでもお互いになんだか「ビビッ」と感じるものがあったようで。どうもエドワーズ氏が彼女に強く魅かれてしまい「サンセット大通りで彼女を待ち伏せしていたとか、いなかったとか。(一体、サンセット通りのどこで待ち伏せしていたのでしょうか?大きな通りですよ、サンセット大通りは・・・。このコメントってなんだか「ピンクパンサー」的ですねぇ!どうも二人は同じセラピストに通っていたらしいです。)

つづく