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映画「ROCKY」シリーズはやはり「パート1」が素晴らしい?!【映画241】

どうも「映画/健康/雑談」の高岡です!還暦+4です。

映画「ROCKY」が公開されたのはアメリカが1976年の11月21日、日本の公開日は1977年4月16日。日本での公開はアメリカでアカデミー賞が発表された後だったですねぇえ。主要な役者4人は主演・助演でノミネートされて9部門でのノミネートとなったが、受賞したのは作品賞・監督賞、脚本賞の3部門という結果となりました。

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          Sabine Langeによるpixabayからの画像

「ロッキー」シリーズは「ロッキー・ザ・ファイナル」まで彼・ロッキーが主人公がである作品はこれまで6本ほど製作されてきている。大きな賞、アカデミー賞に関して言えばオリジナルの「ロッキー」が3部門で受賞したものの「パート2」以降は残念ながら受賞どころかノミネートすらされていない。(「クリード」シリーズのことは考えないことにします)

私は、高校時代に「パート1」を立川の映画館まで観にいって、やたら大いに感動して、帰宅する空いている電車の中でかなり大きな余韻の中にいたことを思い出します。あの感動を味わった年が1977年だとすると、もう約50年も前のことなのかと思いただただ感無量なのであります。

その後「パート2」から「ザ・ファイナル」まですべて劇場で観ています。それぞれ観終わる度にそれなりのエンタメ観を味わうことが出来て「ロッキー」ファンとしてはそれぞれが「あ~~、良かった、これもいい映画だったなぁ」ということにはなるのですが、私の場合は、やはりどうしても「パート1」の時の感動がデカすぎて以後の作品は単なる「続編」というレベルから抜け出せていません。

 

なのですが、友人・知り合いと「ロッキー」シリーズの話しをすると、みんなそれぞれにお気に入りの「ロッキー映画」があるということが分かりました。私は断然「パート1」が良いと思って生きてきましたが、ある友人は「パート2」を高校時代に鑑賞して「映画というものは物語に続きがあり、架空の世界の物語の筈なのに、とても心に響いてしまった」ということで「パート2」がお気に入りだし、ある友人はアポロが物語の中で友人になるという設定の「パート3」を観て「人生や物語には変化が生じることもあり得るのだという事を学ぶことが出来て俺はパート3が好きなんだ」との意見もありました。

ある知り合いは「ロッキー」という映画が人気だということは知っていて気になってはいたけれど「パート4」で初めて映画館に行って「ロッキーが自分よりも体のデカいロシアのボクサーであるドラゴに立ち向かっていき、倒されても、倒されても立ち向かっていく姿に感動してロッキーが大好きになった」ということで彼にとっての「ロッキー」は「パート4」だったりと正に人それぞれにお気に入りの「ロッキー・ムービー」があるわけです。

ただ、アカデミー賞を受賞しているのはオリジナルの「ROCKY」ということになるわけで、私は「パート1」の評価は高いが「パート2」以降はエンターテインメント性の高い楽しめる作品には仕上がってはいると思います。

では、どうして作品としての評価が低いのだろうかと長い間考え続けてきました。(この場合、映画賞の授賞を考えた場合の『評価』であって作品が楽しくない・面白くないという事ではありません)

スタローン自身もあるインタビューで映画を作り続けている中で「パート1レベルのものを目指していつも取り組んでいるつもりなのだけれども、なかなかそうにはなってくれない」と言っています。

 

ではスタローンも言っているように「ロッキー」の「パート1」が出色の出来栄えとなっているのはどうしてなのでしょうか。私は私なりに50年近く「ロッキーシリーズ」を観てきて自分なりに答えを導きだしました。

 

「ロッキー」の「パート1」にあって「パート2」以降にないもの。「ロッキー」がロッキー映画である為にはロッキー、エイドリアン、義理の兄となるポーリー、トレーナーのミッキー、対戦相手であるアポロ・クリードという登場人物たちが必要だったわけですが、素晴らしい役者陣がそれぞれのキャラクターを見事に演じ切っています。

 

「パート1」を観ていると、これは「ロッキー」という人物のドキュメンタリーではないのか?、この人物・ロッキー・バルボアはフィラデルファアに本当に実在する人物なのではないのかと思えてしまう位、見事なまでに銀幕の中に一つの実世界を創り出してしまっています。監督賞を受賞したジョン・G・アビルドセンの演出の上手さは言うまでもありませんが、もう一つ、ジェームズ・クレイブ(James Crabe)が担当したカメラワーク・撮影が見事だなぁとずぅ~と思っています。「パート2,3,4」の撮影はビル・バトラーが担当している。「5」と「6」は撮影は別の人物がそれぞれ担当している。実はここも大きなポイントだと思っています。

 

そして、ロッキーがトレーニングをするシーンで流れる軽快なるビル・コンティ作曲による「ロッキーのテーマ曲=Gonna fly now」は、映画ファンならずとも、そのメロディを知らない人はいないというくらい世界中の人が慣れ親しんでいるメロディとなっています。映画「ロッキー」の成功はビル・コンティの音楽なしには語ることは出来ないことも事実だと思います。

 

「ロッキー4」のサントラはビル・コンティの担当ではなくヴィンス・ディコーラという作曲家のスコアになります。この作品で使用されている曲もどれも皆素晴らしいのです。私は「ロッキー4」が劇場公開されてすぐにサントラアルバムを購入して聞きまくっていました。でも、アルバムに収まっている曲はみんな好きなのですが、納得出来ない曲があって、それは映画の中で実際に使用されているメロディではないと思う曲「War」という曲だったりしました。すると「ロッキー4」の音楽ファンの声に答えるような形で後に新しい「ロッキー4」のサントラアルバムが発売になったのです。新しくリリースされたアルバムでの「War」は映画に使われていたスコアなのでロッキーファンにとっては「おおー、あの場面で使われていた曲はこっちの方だ~」という声が沸き起こっていると思われます。

 

シリーズ全てのサウンドトラックのアルバムを聞いてきていますが、私はやはり「オリジナル・ロッキー」のサントラの曲がどの曲も素晴らしいと思います。私がパート1がひとつの実世界を創り出してしまっている」と思っている理由はやはりサントラの出来の良さにもあります。テーマ曲以外の曲もこれまた素晴らしいスコアばかりです。私は以下の3曲はそれぞれ静かな曲ですが実に胸に響いてきて本当に素晴らしい曲だと思っています。

 

2.フィラデルフィアの夜明け

7.初めてのデート

11.孤独のリング 

 

高校生の時代に初めて「ロッキー1」を観たわけですが、これほどまでにピアノの音が心に残る曲というものを聞いたことがなかったので、大袈裟な言い回しではありますが「物凄く静かな空気の中で鮮烈でしかも心を打つこの上ない素晴らしき鍵盤の音色」として心の中で繰り返し繰り返しリフレインされていました。

「孤独のリング」という曲はロッキーが試合の前日に誰もいない会場を訪れる際のバックにかかる静かな曲なのですが、このタイトルに使われている「孤独」というワードを見て気づいたんです。「パート1」が「パート2」以降のロッキーと明らかに違うのは「パート1」の前半の彼は正に孤独な生活を送っているしがない一人の独身男性なのです。エイドリアンという恋人が出来る前、ロッキーは飼っている小さな亀に餌を与えてる孤独な一人の男性なわけです。「パート1」という映画の中でのロッキー・バルボアというのはただの一人の孤独なチャレンジャーにすぎない存在なわけです。一生負け犬と思って人生を生きていくのか、それともチャンピオンを相手に最後までリングに立ち続けていることが出来るのか?そこにロッキーの男としての尊厳をかけた孤独な闘いがあったのです。「パート2」になるとロッキーはエイドリアンと結婚してもはや「孤独」な存在ではなくなってしまう。ポーリーという義理の兄はいるし、トレーナーのミッキーも常にロッキーのそばにいるようになりロッキー・バルボアは「孤独」な存在から「ファミリーの中心的存在」となっていってしまう。

 

余ほど裕福で良家に生まれない限り、大概の男性は、結婚して家庭を持つまで皆「孤独」です。働いて、めし食って、テレビを見て、寝る。お金も恋人もいない三流ボクサーのロッキーは自分たちの生き写しのような等身大のキャラクター。だから家族や仲間が出来た「パート2」以降の作品は「孤独派」の人たちからすると「勝ち組」キャラの物語なので「孤独なロッキー」には勝ちようがないのです。

私が映画のプロデューサーでスタローンと話が出来るなら次のような内容の最後の最後「ロッキー7」にした方がいいのではないかと提案したいですね。もうヒーローでもボクサーでもある必要はないのですから・・。

息子のジュニアがフィラデルフィアのイタリアンレストランを継いでくれており、息子・孫たちの家の近くでロッキーは以前からの家に一人で暮らしてはいるものの病いで亡くなったエイドリアンのことを回顧しながら自らも病魔と闘い、自らの人生の振り返っていく。あるいは入院中に「難病」と闘う少年との出会いがストーリーの中に入ってきてもいいかもしれない。そして、最後は『死』迎える。「ロッキー1」が「孤独」という境遇にいるボクサーとして人々の共感を得たのであれば、誰もが避けようがない「死」と「病魔」に立ち向かうロッキーの姿であれば「ロッキー1」を越える作品になりえるのではないでしょうか?病院のベッドの上で亡くなるロッキー?いやいや、きっとロッキーは、エイドリアンが眠っているお墓の近くで椅子に座り、木に背をもたれて、静かに眠っているように逝ってしまう、そんな姿なら世界中のファンも納得してくれるのではないでしょうか、そんな気がするんです。

 

これはあくまでも私の妄想の域を出ませんが、どうか戯言とお許しくださいませ。             了