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【映画006】「人生苦しいなぁ」と思ったらウィル・スミスの「幸せのちから」がお薦めです!!

どうも「映画/健康雑談」の高岡です!

人間生きていると思わぬ逆境に襲われることがあります。2020年は新型コロナウィルスが蔓延したせいで、現実問題、せっかく自分のお店をオープン出来たと思ったら、いきなりコロナという逆境が襲ってきてしまったという飲食店のオーナーや社員の方々もいらっしゃると思います。

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Sabine LangeによるPixabayからの画像

私の場合、4歳の時に母子家庭になったので、逆風の中で人生がスタートしています。

両親が揃って平穏な家庭環境の中で育った子供たちよりは「心の免疫」が他の人より強くなってしまったかもしれません。それが良いのか、悪いのか、良し悪しは判断出来ませんが・・・。私の話しなどは取るに足らないつまらないものなので、さっそく今日ご紹介したい映画である「幸せのちから」の話しにまいりましょう!

私は何人かお気に入りのハリウッドスターがいます。その内の一人がいつも明るいイメージのあるウィル・スミスです。彼の出演作品はほとんど見ていますが、日々の生活の中で何かイヤなことが起こって気持ちが凹みがちになると彼が主演した「幸せのちから」のDVDを見直しては気持ちを元気な方向へ向かわせてきました。

ウィル・スミスと聞くとSFやアクション作品のイメージが強いと思います。でも、この「幸せのちから」は貧しい父と子が苦しい生活からいかに抜け出すことが出来たかというクリス・ガードナーという実在の人物の実話を映画化したヒューマンドラマです。

この映画を観ていると「お金がないが故のヒモジさ」がひしひしと伝わってきます。そして日々の生活を順調にしていくには、極々ありきたりな日常生活上のファクターが揺らいでいては、普通に生きてゆくことが困難になるのだということが痛い程分かります。

「住む家がないこと」

「食べるものがないこと」

「着るものがないこと」

「不健康では自分一人で生き抜くことが難しいこと」

私は4歳で母子家庭になりましたが、幸運にも祖父母の家で暮らすことが出来たので「住む家」に困ることはありませんでした。でも祖父母がいなかったら施設にいくことになっていたかもしれないし、実際、自分が施設に行ってしまった方が母親が楽になるのではないかと思ったこともありました。この物語の内容がなんとなく身に沁みて感じられてしまうのは、そんな幼い日の経験があるからかもしれません。

 【映画のあらすじ】

時は1980年代。主人公のクリス(ウィル・スミス)は新型医療機器のセールスマンとして生計を立てているが、自ら機器を買い取ってそれを売って生計を立てていたため、その機器が売れないとお金が入らず、家賃や税金を払えない状態に陥っており、妻のリンダ(タンディ・ニュートン)に去られてしまう。息子を抱えながら、証券会社の正社員を目指して養成コースを受講しはじめるのだが、お金がない、住む家がない、着る服も限られていて綺麗ではない、人生の底辺での生活をせざるをえない状況に陥っていきます。苦しい生活が続いていく中、彼は必至で証券会社の研修に挑んでいきます。果たして彼はその試練を突破して、証券会社の社員になることが出来るのでしょうか?

※以下はYouTubeからの予告編映像!


www.youtube.com

アパートを追い出された親子は、住むところに困り寝場所を探すことになってしまい、駅の小さなトイレの中で一晩を明かすシーンが出てきます。 このシーンで涙を流す父クリスの涙のなんと切ないことか・・!ここで主人公が発するコメントはないのだけれでも、一人の男として、自分の息子と「トイレの中」で一晩を明かさなければならないとは「俺はなんて情けない男なんだ。」と思っていたに違いありません。

それから主人公父子は毎日、ホームレスを受け入れてくれるクライド記念教会という施設の前に並ぶことになります。そこは一日に入れる人数に制限があるので早くから順番待ちをしなければなりません。会社での研修を受けて、それが終わるとすぐに教会前に駆けつける、ここでの父子の奮闘ぶりは観ていて本当に胸に込み上げてくるものがあります。

この映画のことをブログに書くことを決めてから、もう一度、監督のコメンタリー付き映画で見直してみました。この映画は「お金のないひもじさ」が実によく伝わってくる映画であると既に書きましたが、それは監督が意図した演出の賜物だったということがわかりました。映画は撮影するカメラは出来る限り揺れないようにする為、普通固定させてから撮影に入るわけですが、この「幸せのちから」では主人公が生活がうまく行かなくなって人生の底辺でもがき苦しみ、道や駅の中を走っていたり、彼の心が苦しみ・苦境と戦っている彼がイライラしているシーンでは、そのすべてを「手持ちカメラ」で撮影していたのです。それはまるで主人公の揺れる心を表わしているかのような効果があることに気付きました。あの見心地の悪さは、監督の計算された演出の賜物だったのですねぇ。映像は心で撮るものなのだなぁととても感心してしまいました。

次回の【映画07】へ続きます!