どうも「映画/健康雑談」の高岡です。還暦+4です。
私はいくつか趣味を持っています。その中のひとつが「中国語学習」です。(昨今の日中関係に関して言及するブログではございません。)趣味なので勉強の度合いに真剣さがまったくありません。つい先日、中国語の検定の一番下の級の試験を受けました。
一番下の級の試験にも関わらずもう3回も落ちているんです。しかもいつも「あと5点」取れば合格という線を越えられずに落ち続けています。趣味なので落ちても全然落ち込むことなくストレスなどはありません。「試験」というものは「良い点数を取ろう!」とか「絶対に受かるぞ!」という思いで人生の大半を過ごしてきたのですが「この試験は受からないでもいい」という気持ちで受けるとこんなにも緊張しないものかと自分でも驚いています。
先日、この検定試験の受験しに行った際に、今の若者たちと「生活習慣?のずれ」を感じることに遭遇してしまいました。どういうことかと言うとですね。
「受験票は郵送しないのでこのメールを受験票として持参してください。」
と注意書きに書かれていました。私は、今まで通り、この自分のPCのメルアドに送られてきたメールのページを印刷したものと身分証明として運転免許証を持っていきました。
当日、受験会場の席に全員がつく時間となりました。試験官が試験の開始前に、その受験票の代わりになるものを机の左側に置くようにマイクで全員に伝えました。すると人数は少なかったのですが、だいたい35歳以上の人たちは言われたようにと「印刷された受験票」と「身分証明」を机の上に出しました。しかしながら、10代、20代の若い人達からは携帯電話で申し込みをしたのでメール自体も携帯に届いているので印刷したものなどはもってきていないとのクレイムがどこからともなく出てきました。3人いた試験官の方々は皆さん50歳以上の方々だったので、この若者たちからのクレイムに驚いていたようです。クレイムの声を上げた若者たちの人数が、ざっと35名位でした。そこはバックアップ用に用意された紙に印刷された受験者名簿のおかげでなんとか試験前の準備時間内に受験者名簿との本人確認チェックを完了することがなんとか無事に済んで試験をスタートさせることが出来ました。
私は今の若い世代とはこういう方々になっているんだなぁを思いました。つまりが公的な証明物としても携帯の画面に依存(?)している。依存という表現は正しくないかもしれませんね。我々、35歳以上の人間には、なかなか理解が難しいかもしれません。
ただ、私は映画業界を60歳で一度引退した際に、とある大学で一年間事務員をしていた経験があり、その時受け持っていた学生たちへの大学からの連絡事項はすべて携帯(やPC)の個人のメルアドに送りだしていました。大学のイベントの通知、そのイベントへの参加・不参加の集計、授業の突然の休講のお知らせ、生徒たちへのリサーチ案件などの生徒たち全員のやり取りすべてがメールを介して行われていたので、自分の若い頃のやり方と雲泥の差があると実感していました。今回の中語検定試験での会場での若い人達の反応にも「ああ、やっぱりこういう時代なんだ」と思いましたね。
こういうところに「時代、時代」の世代の差というものが生まれてくるのだなぁと感じています。
日本人として日本に生まれて
「お正月」「もちつき」「獅子舞」「駅伝」「温泉」「お寿司」「味噌汁」「GW」「夏休み」「花火大会」「夏祭り」「赤ちょうちん」「雪景色」「富士山」「演歌」「JPポップ」「カラオケ」「ラーメン」「日本シリーズ」「お相撲」
などなどなど。いつの時代も日本特有の行事や食べ物がちゃんとその季節毎にしっかりと味わえる平和な日本であり続けてほしいと願う気持ちを強めている今日この頃でございます!!!
今の若い方々へ。なんでも携帯でやるという時代に生まれて生きてきているからこそ考えておいて欲しいのは全員が「携帯」を使えなくなったらどうするのか?ということ。確かに電気製品は便利だし、私もいろいろな電気製品で人生を豊かにしてもらっている。
わずか400年、500年前のこの同じ日本という国の過去の人たちは、そのような便利な機器などない時代に生まれて人生を終えていったのです。
今の若い人達は「携帯」がうまく動かないと「なんでだよ」と思うのが当たり前かもしれない。でも、俺たちの世代からみると「携帯」なんて若い時代はなかったんだから。其れでも楽しく充実した日々を送れていた!
だから「携帯」はないのが当たり前、日々ありがたい製品を動かしているんだと思った方がいい!
今の世の中のでも「携帯」を敢えて持たないことを信条にしている人もいる。それってかなり生きづらいとは思うけどね。
私も含めてだけれども「携帯」がない状態を日々意識して備えていく気持ち、大事だと思います!!