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【雑談015】パラリンピックで感銘を受けたもう一人の海外の選手!

どうも「映画/健康雑談」の高岡です。

オリンピックとパラリンピックが終わってしまい、もう過去の出来事になっていこうとしています。開催するのか、開催しないのか、あんなに騒いでいた日々も人知れず時の中に溶けこんでいこうとしています。

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前回は両手のない卓球選手であるエジプトのイブラヒーム  エルフセイニ・ハマドトゥ選手(48)さんについて書かせてもらいましたが、今日は感銘を受けたもう一人の海外のパラリンピアンの事を書きたいと思います。

そのパラリンピアンと陸上男子100メートル走のノルウェー代表のサルーム・アゲゼ・カシャファリ選手(27)です。彼は実はコンゴ民主共和国の出身であり競技後に「道端で物乞いをしていた自分がここまで来られた。」と涙ながらに語っていたといいます。当時は内戦という状況下での生活であったので生き延びるのに精いっぱいで11歳のサルーム・アゲゼ・カシャファリ少年は家族と一緒に難民としてコンゴからノルウェーに移り住みました。生まれながらの網膜の病気と闘いながらも、練習を重ねて、今回初めてパラリンピック出場となりました。そして見事に金メダルを獲得したのです。「私は自分自身を信じ続けていた。なんだって成し遂げることは出来る。」と語り「困難に負けずに夢を信じることの大切さ」を訴えました。

私は母子家庭育ちなので決して裕福な家庭で育ってはいません。「裕福だった?貧しかった?どちらでしたか?」と尋ねられたら、まあ「貧しい」部類に入る方に手を挙げます。確かに「貧しかった」とは思います。ですが町の道端に座りこんで「人に物乞いをする」などということは一度も経験はしたことはありません。他の国で生活したことは大人になってから仕事でアメリカで3年半暮らすことはありましたが、国を追われるように違う国に移り住んだわけではないので、そういった苦境に立たされた人の気持ちは正直分かりません。ただ一つ「決して楽なこと」でないだろうとなぁという事は分かります。

皆さん、想像してみて下さい。仮に直線で100メートルのコースが余裕で取れる学校の広い校庭を借りることが出来たとして、自分以外誰もいない校庭なので邪魔する者がいないと分かっている状況があって、アイマスクで視界を塞いで「よーい、ドン!」と言われて、全力で100メートルを走り切れる自信はありますか?

仮で、こういうことを想像するは不謹慎かもしれませんが、交通事故に遭ってしまい片足あるいは両足を失って義足になってしまったとしたら、あなたはその状況をどう捉えますか?

まずは「足を失ってしまった」という事実が否応なく自分自身に襲いかかってきて、その現実をどう受けとめていいのか。それ以降の人生は松葉づえか車いすが必要不可欠になるという現実。この状況だけで精神的なダメージは強くて、かなり落ち込んでしまうと思います。「競技」以前に自分の普段の生活をどう過ごしていくべきなのか?極々普通の生活をどうやって過ごしていくべきなのか?それも可能な限り人の助けなしに出来るようにしていかなくてはなりません。

膝から下が義足になった場合、それが自分の膝の部分と義足の接合する部分は擦れたり合わなかったりで最初痛みがあると聞いた事があります。その「痛み」を克服しつつ如何に自分の本当の足にしていくか。義足を自分の体の一部にしていくことは、そんなに簡単なことではない筈です。

パラリンピック期間中、パラリンピアンの方々が、さも当たり前のように義足で飛んだり走ったりしている姿を見続けてしまい「誰もが簡単にああいう競技が出来るに違いない。」と勘違いしてしまいます。

でもです、もしも自分が義足だとしたら義足をつけて自分一人で歩けること、それ自体だけでも物凄いことだと思いませんか?慣れと練習を積み重ねて、少しづつ少しづつ歩けるようになっていく。

義足をつけて歩けるようになって自分で挑戦したいと思えるスポーツと出会い、そのスポーツに挑戦する気持ちになる。そして、アスリートになる道を歩んでいくことになるのだと思いますが、そう考えるとパラリンピックに出場することはとても凄いことであるし、世界の他の国の知らない町からやってくる同じ困難を克服した人たちと切磋琢磨するという機会があるということは「この地球上には同じ困難に向き合っている同志がこんなにもいて自分一人ではない。」ということを知って自分自身の気持ちを鼓舞するとても良い機会にもなっているのではないでしょうか。

義足の方、目の不自由な方、車イスでの生活を余儀なくされている方。何かしら身体に不自由を抱えながら生活されている方々は人類の総人口の15%(12億人)もいらっしゃるのだそうです。

「ユニバーサル・デザイン」という言葉があります。これは、文化・言語・国籍・年齢・性別・能力などの違いに関わらず、出来るだけ多くの人が利用出来ることを目指した建築(設備)・製品・情報などを表す言葉です。この対象を障がい者や高齢者に的に絞って使われるのが「バリアフリー」という言葉です。

あっという間に終了してしまった「東京パラリンピック2020」でしたが「オリンピック大会」もそれは素晴らしい大会であることは確かなのですが「パラリンピック」にはより感情を揺さぶられるドラマをバックグランンドに持つアスリートたちが世界中から集まるので、次回大会である「パラリンピック・パリ大会・2024」を待つ間、パラリンピックに参加するアスリートたちのことを調べて、もっともっと知っておきたいと思います!!