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【健康005】母は過去に「大腸がん」になり2度の大手術を経験しました!【その①】

こんにちは「映画/健康雑談」の高岡です!

今、日本の女性の死因の第1位は「大腸がん」なのだそうです。私の「母」は以前、この病気になってしまったのですが、あの手術とその後の辛かったであろう日々のことを自分なりに書き記しておこうと思い、今日はこのブログの中で書いておくことにいたしました。もう40年の前のことになります。「光陰矢のごとし」という言葉を正に実感してしまう今日この頃であります。

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morn in Japan によるPixabayからの画像

母の最初の症状は、もの凄い下痢から始まりました。それがピタっと止まったと思ったら、今度は極度の便秘になりお通じのない日が長く続くことになりました。母の症状はやはり普通ではないと思い、病院でしっかりと診てもらうことしました。そして、先生から促されて受けた検査の結果はとても残念なものでした。病名は「大腸がん」。ただ進行はしておらず、転移もない状態なので「早いうちに手術をして切除してしまいましょう」ということになりました。母はどちらかというと「神経質」な性格の人だったので叔母たちと話し合い、本人には「大腸がん」であることを告知せずに「大腸炎」であると伝えることにしました。

 私自身がテレビや雑誌・書籍から得た素人の知識ではありますが、「がん」にならないように気をつけるべきポイントが幾つが挙げられていたりするのですが・・・。

その中の一つに「焦げているものは食べない」というものがあります。

思い返すと神経質な性格の母は「サンマ」にしても「あじ」にしても「魚」を焼く時にはとにかく徹底的に焼かないと気がすまないというところがありました。食事の時、母の前には、ほぼ黒焦げ状態になった「焼き魚」が並んでいました。自分はそのような「焼き過ぎた魚」を食べることを拒否していたので、まだ中学生ではありましたが、私は自分で食べる魚は自分で焼くようになっていました。

母には「そんな黒焦げのサカナばかり食べていたら、いつか本当に病気になるよ」と言っていました。しかし本人は「しっかり焼かないと気が済まないのよ」と言って黒焦げのサカナを食べ続けていました。そうしたら、案の定、病気に、それも「がん」になってしまいました。

母が「がん」で手術を受けることになったのは40歳の時でした。私は4歳の時から父がいない母子家庭だったので「母」が倒れて働けなくなったことはとても痛手でした。しかし、そんなことよりも「人間は生きていてこそ・なんぼのもの」の生き物です。(うまい表現ではありませんが・・)兎に角「がん」を切除して、その後の人生においてはその「がん」と闘っていかなくてはならなくなりました。母子家庭ではありましたが、それまでは何とか普通に生活してこられたわけですが「辛い現実」というものが否応なく我々に襲い掛かってきました。それはまるで「嵐の中で海に突き落とされて波が顔に当たり続けてくる」そんな苦しい、生き苦しい日々が年単位でしばらく続いていくことになったのです。

 母の「がん」の箇所を切除する手術は8時間というかなり長いオペになりました。手術が終了した際には執刀医やスタッフの方々もかなり疲労困憊しているのが分かりました。その時は本当に手術をして頂いた先生・看護婦の皆さんに感謝いたしました。しかしです。

その後、1日、2日と術後の経過観察を行っていたのですが便の動きなど、術後の経過観察での状況・データが芳しくなかったのです。切除した箇所は、その部分が無くなっているわけなので、両脇の腸を引き延ばす形でくっ付けるということを試みてはみたものの、どうもその箇所の腸自体の内部がぴたっとくっついてしまい便をせき止めてしまうという最悪のケース「腸閉塞」が発生していることが分かりました。それゆえに、最初の手術から数日後、今度は「腸閉塞」でくっ付いてしまった腸を改善するという手術をせざえるをえないという判断となりました。そしてすぐに第二回目の手術を行うことになりました。その手術も第一回目の手術と同じくらいの時間がかかる大手術となりました。手術室から運びだされた「母」はぐっすり(いや、ぐったり)と寝ているかのようでした。

2回目の手術の後、数日間、経過観察を行っておりました。今度の状況はとても良い方向にいっているようでした。物凄い手術を2回も行ったので、退院するまでには結構時間がかかったと記憶しています。そして、しばらくしてようやく退院することが出来たのですが、もちろん家で回復するまで寝たきりの日々が続いていくことになりました。

退院する際、担当医の先生から以下のように言われました。

今後5年間がとても重要な期間になります。今回の手術によって「がん細胞の箇所を完全に切除してしまう『根治(こんち、こんじ 両方の読み方があります)』処置」を施したわけです。もしも5年間、どこにも転移することがなかったとしたら。今回のガンによる転移というものはなく、完全に『完治』したということになります。」

以後、叔母たちと私は「がん」であったことは本人には隠しながら、定期的に病院に連れて行き、検査を行うということを何年間も繰り返して「転移の有無」を見守るという生活をすることになっていきました。

※次回の【健康006】へ続きます! 

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